「主イエスについて行く春」(マルコ1章16節〜45節) ( 3.1/2015 ) |
「イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』。」(17節) もうすぐ春が来ます。春になると新しい環境で暮らす方々もおられるでしょう。今日は主イエスについて行く生活について考えてみたいと思います。 1.周りの人々を幸せにする 主イエスの弟子たちは主イエスについて行く生活に入って最初に体験したことは、人々の病の癒しでした。もし、わたくしたちが生活の中で主イエスを認め彼の後について行くなら、そこでは彼が人々の苦しみを取り除いてくださいます。 2.神のことばを信じる弟子がいる このところで登場しているのは主イエスを迎え、彼の言葉を信じる人々です。最初から主イエスを信じて生活している人はいません。必ず彼の言葉を信じる人々によって主イエスはのべ伝えられ、主イエスはみことばを通してご自身の存在を確かなものとして現してくださいます。彼の言葉を聞くだけで彼を信じ主イエスのみわざを見るものに変えられるのです。 3.主イエスは働き続けてくださる 主イエスについて行く人によって主イエスが語られていくとき、そこでは必ず彼の言葉が伝えられることになります。人々に伝達されるのは主イエスの言葉ですが、主イエスは復活して今も生きておられますので、彼は彼の言葉を信じて心に留める人々を救い続けてくださるのです。 わたくしは主イエスについて行くだけで自分自身に力が無くても良いことを知り、今後彼について行きたいと思っております。主イエスについて行く人がいるならば、その周りには必ず主イエスによって幸せになる人々が起こされます。汚れた霊からの解放(26節)も、熱病の癒し(31節)も、さまざまの病気と悪霊からの癒しと福音の告知(34節、39節)も、ツァラアトのきよめ(42節)も、奇跡はすべて主イエスのみわざです。主イエスは今、わたくしたちにも「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と聖書を通して語っておられます。主イエスの行かれる所に、すぐに(18節)ついて行くならば、弟子たちが見た主イエスのみわざ(人が水から引き上げられるようなみわざ)を見せていただけるのではないでしょうか。 ペテロは大祭司の女中が証言していますがナザレのイエスと行動を共にしていた人物でした(マルコ14章67節、69節)。そして、危機が訪れたとき、それを隠してしまう弱さも持っておりました。しかし、使徒の働きの3章ではイエスの名が男を癒したのだと主イエスを生きておられるお方として証言しています。私共も変われるのではないでしょうか。スケワの7人の息子たちの事件を思います時に、ごまかしは通用しません(使徒の働き19章13節〜15節)。本当に主イエスについて行っているのか知られています。最後に、パウロはアグリッパ王の面前でイエスの名に逆らっていた過去があったことを通して現在主イエスについて行く人生に入れられた経緯を説明しました。パウロを変えたのもよみがえられた主イエスでした(使徒の働き26章2節〜23節、9節)。そんなパウロは救われるためになすべきことは主イエスを信じることであると証言しています(使徒の働き16章31節)。 |
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