「赦し」(ルカ23章26節〜43節) ( 3.29/2015 )
「父よ、彼らをお赦しください。」(ルカ23章34節、新改訳)

主イエスの十字架上での祈りの言葉をご紹介させてください。それは、「父よ、彼らをお赦しください。」でした。教会は世の中とは違う価値観で成り立っている集まりです。その価値観とは赦しです。

1.世の価値観から主イエスの価値観へ
ヨハネの福音書8章に姦淫の現場で捕まった女性が登場しています。みなは彼女を石打にして殺そうとしていました。しかし、主イエスは彼女が罪に定められることを望まないで、赦されました。世の人々は反対で彼女が恥をかき、痛めつけられ将来を失うことを望んでいたのです。主イエスの言葉を覚えると、幸せになれるのではないでしょうか。「わたしもあなたを罪に定めない」(ヨハネ8章11節、新改訳)です。

2.罪はどこへ行ったのか
罪はどこへ行ってしまったのでしょうか。それは、エペソ人への手紙1章7節(新共同訳)には、「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」とあります。また、罪の赦しが出てきました。そして、その赦された理由は御子にあると記されています。すなわち、主イエスの十字架で流された血はわたくしたちの罪のためでした。主イエスはわたくしたちの罪を一身に引き受けてくださいました。

3.悔い改め
主イエスの価値観は赦しだと学びました。そしてその罪を彼が一身に背負ってくださったと学びました。彼の顔はどんな顔なのでしょうか。怒っているでしょうか。怒るのではなく、わたくしたちが赦されることを心から喜んでくださっています。なぜなら、彼が語った譬え話には、遠くにいる汚い姿の息子を見つけて走り出し、罪を一言も指摘せず、首を抱いて接吻する父親の姿が語られています(ルカ15章20節、新共同訳)。また、ペテロはよみがえって現れた主イエスに「わたしを愛しているか」(ヨハネ21章15節、16節、17節、新共同訳)と聞かれました。赦すだけならまだしも、愛してほしいと望んで下さっているのではないでしょうか。主イエスは今も、わたくしたちのため「父よ、彼らをお赦しください。」と祈って下さっています。彼に愛された後で、罪がわかるのです。ですから、沢山愛を受け取ってから、彼と関係のない生活をしてきたことを悔いて彼の元に帰ろうではありませんか。今が世の価値観を捨てる時ではないでしょうか。罪は主イエスが背負って下さったのです。彼を恐れず赦されましょう。そして彼の御霊により、隣人を赦せるようにして下さる彼に感謝をささげましょう。

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