「家族が救われる時」(使徒の働き16章16節〜34節) ( 5.10/2015 )
「看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。」(33節、新改訳)

家族が救われるために何が必要なのでしょうか。聖書に記述によりますと、その一つに、傷があるようです。主イエスの名を広めたために投獄され何度もむちで打たれた(23節)と記されています。家族が救われる時

1.そこに救われた人がいる
人は各々自分勝手な道に向かっていったと(イザヤ53章6節)いうのが聖書が描写するわたくしたちの姿です。しかし、神はその不義を主イエスに負わせたと論じています。わたくしたちの罪を主イエスが今負っていると語ってくださり、わたくしたちは神を愛する道があり、神に従う道があることを知りました。

2.愛を目指す人がいる
パウロとシラスは占いをしている女が救われるために仕えました。わたくしたちにも仕えるべき方々が備えられているのではないでしょうか。世とは違う救いが聖書には記されています。それは、世に勝つ信仰でした「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5章4節〜5節)。占いの女は収入を失ったかもしれません。しかし、神に仕える人生を得たのです。本当に得なければならないのは世に勝つ信仰ではないでしょうか。

3.傷は洗われる(33節)
傷を持つことなく過ごすことを許されるクリスチャンもいるかもしれません。しかし、パウロとシラスの傷は洗われました。苦しい試練を受けたこの使徒パウロは「賞を受けられるのはただひとりだ」(1コリント9章24節)と考えていました。

今、どこをわたくしたちは走っているでしょうか。自分の好きな道に向かっているのなら、今日その所から悔い改め、主イエスを信じて神に向かって歩み始めましょう。世の人の分からない生活をするのではなく、世の人を愛し、世に勝つ信仰を証しましょう。傷は洗われます。

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