「二つの約束」(マタイ28章1節〜20節、使徒の働き1章1節〜11節) ( 5.24/2015 )
「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)

主イエスは、よみがえられた後、昇天されるまでの間に弟子たちに現れて大切な二つの約束をしてくださいました。それが、共にいるという約束と力を受けるという約束でした。これらの約束はわたくしたちにとってどういう意味があるのでしょうか。

1.共にいる約束
マタイによる福音書の最後の言葉は「共にいる」という約束です。罪のない人と共にいてくれる方は沢山おられます。しかし、主イエスは罪人と共にいてくださるのです(ローマ6章23節)。

2.力を受けるという約束
主イエスが共にいて下さることを弟子たちが信じた始めたとき、彼らは新しい生活を始めました。たとえどんな重病に見舞われても(2コリント12章8節)、寂しい日々を送ることになったとしても、家族や会社に不幸なことが起こっても。その秘訣は主イエスが共にいてくださるという約束でした。すなわち、信仰と不信仰の狭間で彼は主イエスに出会いました(2コリント12章9節、10節)。わたくしたちの側の信仰は弱かったとしても主イエスの愛がわたくしたちの力です。

3.聖霊の力
主イエスが共にいて下さることを信じる時に受ける力が聖霊の力であると聖書は語っています(使徒の働き2章以降は、主イエスは直接現れていないから)。ですから、どんな場合にもへりくだってこのお方を認めて、感謝をささげましょう。
聖霊によってわたくしたちを地の果てまで主イエスの証人とされます。具体的にどのような証しなのでしょうか。聖霊が働かれる時に体験することは、自らの罪深さについての教示です(ヨハネ16章8節、使徒2章37節他)。困難を送る神が悪いのでしょうか。どんな困難があっても共に受け止めてくださるお方は主イエスです。聖霊は悔い改めて罪の赦しを得、御国を生きるために必ず助けてくださるのです。

罪深さに悩むことはないですか。罪を負っていても主イエスはわたくしたちを見捨ててはおられません。今日から苦しみは苦しみのままでは終わらないのです。主イエスと彼の愛がそこにあるからです。

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