「故人の祈り」(マタイ6章9節) ( 6.14/2015 )
「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。』」(マタイ5章9節、新改訳)

わたくしたちが教会に来れることや祈れることは驚くべきことであります。この背後には神の許しがあり、神の導きがあります。そして、主イエスの祈りがあり主イエスに従い祈りをささげた方々の祈りの答えでもあります。すなわち、神の御業であり、神の栄光なのです。故人の祈りは恐らく、

1.感謝の祈り
自分自身と世界を比較してどちらが大きいか答えは簡単ですが、簡単であると考えられない場合が多くあり、ひとりで戦ってしまいがちです。そして祈ることすらできないときがあります。しかし、神はわたくしたちのためにひとり子イエスを世に遣わしてくださり、罪の贖いを成し遂げてくださり愛を示されました。そして主イエスは聖霊を送って今もご自身のみ力をもって世界を動かされているのです。わたくしたちは神の愛の御支配を知り異質である自分自身に驚き悔い改め、神のひとつひとつの御業に従い感謝するのです。

2.愛する祈り
第二は具体的な祈りです。主イエスは神の国はからしだねのようなものと言われました(マルコ4章31節〜32節)。以前は愛のなかった心に愛が与えられ、今は隣人が赦しと愛を受け取れるようにと祈る者に変えられたのです。このように変えてくださった神に感謝の祈りをささげましょう。

3.ささげる祈り
これは、神の御名が崇められるために自分を使ってくださいと祈ることを言っています。どんなに罪が大きくても神はわたくしたちを主イエスの十字架のゆえに赦してくださいます。このお方にわたくしたちの人生をお任せしようではありませんか。その時、神の御心がわたくしたちの内になされるのです。自分で自分を癒すことはできません。主イエスが癒してくださるのです。ヘリコプターでしかたどり着けない秘境があるでしょう。主イエスを信じて罪赦され神の愛を見ましょう。自分自身の価値観もささげて神の愛を信じましょう。そして、わたくしたちの生涯が神の栄光に少しでも溶け込むように祈りましょう。

TOP