『豊かな人生の条件』(ヨハネ福音書15章1節〜11節) ( 6.21/2015 )
人生は艱難辛苦に満ちています。けれども、神様は私たち一人一人が喜び溢れる人生を送ることを願っておられます。主イエスは11章で、「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ち溢れるためである」と言われました。15章のぶどうの木の譬えには、私たちが豊かな人生を送るための必要条件が書かれています。

1.条件の第一は、まことのぶどうの木であるキリストにつながることです。(1-8)
それは、みことば(3)と祈り(7)によります。ぶどうの木の枝は幹から離れては、自分だけで実を結ぶことはできません(45)。「あなたがたは、わたしが語ったことばによって既にきよくされている」(3)と主イエスが言われた如く、十字架の贖罪により、私たちの罪は赦され、キリストに繋がる者とされました。
キリストに繋がった者たちは、日々聖書を読み、礼拝を始めとし、み言葉が語られる諸集会を通してしっかりと幹なるキリストに繋がってゆきます。それだけでなく主イエスは、「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、あたえられるであろう」(7)と約束されました。私たちは、みことばと祈りにより、人生の全ての必要を受けることができます。キリストに繋がって、私たちが祝福されている姿を通して、キリストご自身が崇められるからです。

2.第二の条件は、キリストの愛のうちに生きることです。(8-10)
キリストの愛のうちに生きる者とは、「いましめを守る」(10)生き方のことです。子が親の言葉に聞き従うように、キリスト者は「主の戒めの道」を歩みます。そして、その「主の戒め」の道とは、「愛の律法を行う生き方」に他なりません。私たち一人一人は、キリストの愛の使者としてこの世に存在致します。キリストの弟子はキリストに教えられつつ、キリストの内にある御霊の実である、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)の実が豊かに結ばれてゆきます。

 私たちは生きている限り、艱難辛苦を避けて通ることはできません。けれども、キリストの弟子は、人生の苦難の中で喜びに溢れ、主の栄光を表すのです。

(九州教区講壇交換 説教者 長崎めぐみ教会 高江洲伸子牧師)

TOP