「神の大きなみわざ」(使徒の働き2章1節〜13節) ( 8.23/2015 )
「神の大きなみわざを語るのを聞こうとは」(11節、新改訳)

自分の心の中は誰も入れない自分だけの世界、と感じておられる方はおられないでしょうか。わたくし自身、以前はそのように感じておりました。しかし、心の中とは、神が共に住んで下さる世界であると聖書は教えています(マタイ28章20節)。
使徒たちは神のおおきなみわざを証ししました。神はわたくしたちの心の中に住めるのでしょうか。

1.柔らかい心
「日曜日に礼拝をしています。是非お越しください」と声をかけますと、多くの方は何の反応もされません。恐らく、(必要ない)と思われているのだと思います。建物を建てる時はどこに固い地層があるか調査して基礎を作りますが、人それぞれ、自分自身の殻がどのくらいの深さにあるのかまちまちのようです。しかし、救いが必要と感じている方も、自分自身手に負えないのが、柔らかい心の下にある殻の中の誰にも触れられたくない自分だけの世界です。

2.神の大きなみわざ
どうして、岩盤を捜して基礎を作るのか、どうして、人は心に殻を作るのか考えてみますと、その下には混沌とした自分では制御できない世界を見せることができないからではないでしょうか。しかし「神の大きなみわざ」があるのです。自分しか入れないプライベートな世界に、神の側から、十字架によって隔ての中垣を取り除いてくださいました(エペソ2章14節)。心の中に復活された主イエスが住んで下さり、心の中を神の世界としてくださったというのです。自分だけの場所が「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28章20節、新改訳)と言ってくださる主イエスと共に生きる聖霊による喜びの場所(1テサロニケ1章6節)へと変えられたのです。

3.神の活動
初代教会の信徒たちの驚きは、自分の活動が実は神の活動であったと認めたところにありました。自分ではない、神がしてくださったのだと認め、神に感謝をささげ始めたとき、死からよみがえられ生きておられる主イエスを身近に覚えるようになったのです。詩篇には「低くされたわたしたちを みこころに留めた方に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。」(136編23節、新共同訳)とあります。良いことと思えない事態や自らの愚かさも、神は受け止め交わって下さいます。ゆえに、恐れて立ち止まることなく、どうしたらよいか分からない中に置かれても、すべてについて人間的活動とせず神のおおきなみわざをたたえて、地味な神と交わる命を(出エジプト3章2節)受け取りましょう。

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