『主の手の中にある』(エレミヤ18章6節) ( 9.29/2015 )
預言者エレミヤは主によって、陶器師の家とその仕事場に下って行くように命じられています。そこで、エレミヤは神がイスラエルの民になそうとすることを見せられるのです。

1、神はご自身の民を、陶器師の手の中にある粘土のように自由に取り扱うことができるのです。

2、粘土を選ぶこと、粘土の中から空気やごみを取り除くために、時間をかけて練るのです。そしてろくろに乗せ、計画のとうりにかたちを作り上げます。

3、神はエレミヤに陶器師の家に降るように命じました。それは、陶器師の手にある粘土のように、イスラエルの民同様に私たちも主の手の内にあることを伝えるためです。

パウロはこのような神ご自身について教えます。
「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9:21)
また、イザヤも以下のように、私たちが主の御手の中にあるものと祈ります。
【主】よ。今、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの手で造られたものです。イザヤ書 64:8

(説教者 大瀧一郎牧師)

TOP