「愛」(ルカ6章27節〜36節) ( 10.6/2015 )
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」(ルカ6章27節、新共同訳)

世の中は、痩せているか太っているか、綺麗か綺麗でないか、賢いか賢くないか、お金持ちかそうでないか、そして優しいか優しくないかなど、様々な指標で満ち溢れています。しかし、教会の指標は愛があるかないかです。教会で学ぶことは愛することです。

愛するとは隣人を変えることではなく、

1.敵を愛すること(27節)
先週世界のある地域ではテロ事件の報復として空爆が行われました。自分ができないような無慈悲なことを平気でやってのける人々を敵と見なしてしまうということは、私たちにもあるのではないでしょうか。しかし、敵を愛する世界が存在すると聖書は証言しています。それがキリストのからだである教会です。教会に足を踏み入れるということは愛する世界に入ることです。敵が多い方、「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。」(27節、新共同訳)とあります。教会へお越し下さい。そして、知らせを受け取ってください。聞き従えるようにしてくださいます。愛する人生に変えられます。

2.恵みをもつこと(33節)
「自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。」(33節、新共同訳)主イエスは、好意を寄せ合うことは恵みではないと言っています。それは、恵みとは赦す心だからではないでしょうか。主イエスの高さはののしりを受けるための十字架の高さでした(マタイ27章40節)。そして、主イエスの心にあったのは赦し(ルカ23章34節)であり、思いやる低い心(ルカ23章28節)でした。すなわち、恵みとは主イエスです。今日、彼に心の中に住んで頂きましょう。恵み、すなわち赦す心は、主イエスが住んでおられる証しです。

3.父のあわれみを受けること(36節)
「あなたがたの父が憐れみ深い」これは父の性質です。ゆえに、「わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」(コロサイ1章14節、新共同訳)。しかし、どれだけ赦された者の位置に立てるかはわかりません(ローマ9章16節)。しかし、父のあわれみは存在するのです。父のあわれみをひたすら祈り求めましょう。父にゆるされた者とならせて頂き、愛を受けましょう。

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