「神の恵みは満ち溢れる」(エペソ1章1節〜23節) ( 10.14/2015 )
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、」(7〜8節、新共同訳)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(23節、新改訳)

1節から7節は現在までの神の定め、8節から14節は将来に向かっての神の定め、15節から23節は神の全能の力に基づいた祈りが記してあります。

1. 主イエスが血を流してくださったから(7節)
「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。」(7節、新改訳)わたくしたち自身も赦されなければならない同じ罪人であると教えています。

2. 主イエスに依る罪の赦しを聞き信じた者は聖霊を受けるから(13節、14節)
「福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を継ぐための保証であり」(新共同訳)私たちに出来ることは、聞いて信じることです。今は失敗だらけであり、今は聖霊が悲しまれることがあっても、やがて神がほめたたえられるために用いられる者とされるのです。御国は逃げていきません。

3.教会がキリストの体だから(23節)
教会がキリストの体であるということは、わたくしたちが存在している以上、キリストの命はわたくしたちの内に流れ続けているのです。キリストに聞き従うことが重荷だったかもしれないわたくしたちも、キリストの命によって生きているのですから、もっと力を抜いて自然に主イエスに従うことができるのではないでしょうか。4章25節から32節には、一例ですが、憤ったままでいないように、イライラしないためには自分で働くように、悪い言葉を使わないように、悪意に関するものをみな捨て去るように、神がキリストにおいて赦してくださったように、互いに赦し合うように、など勧めてありますが、教会という場につながって生きていくときに、キリストによって、必ず彼の恵みはわたくしたちの生活に満ち溢れるのです。肩の力を抜いて神の全能の力にすべてをお任せしましょう(19節)。

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