「神への賛美」(使徒の働き3章1節〜26節) ( 11.17/2015 )
「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。」(9節、新改訳)

この3章は前半の1節〜10節は足の不自由な男の癒しについて、そして後半の11節〜26節はペテロの説教が記されています。9節に癒された男が神を賛美している姿が目撃されています。真の癒しは金銀の祝福ではなく神への賛美でした。

1.主イエスの名への賛美(13節〜15節)
主イエスの名の力とは、13節から15節にあるとおり主イエスの御生涯そのものであり、預言の成就であり(ルカ24章26節〜27節、44節)、すなわち、みことばへの信仰でした。主イエスについての預言は、
「彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3章15節)
「もし、蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(民数記21章9節)
「彼に聞き従わなければならない。」(申命記18章15節)などがあります。

2.金銀とは違う種類の祝福への賛美(9節)
ペテロとヨハネは「金銀は私にはない」(6節)と言っています。彼らの宣教は金銀によってなされたものではなく聖霊に依ってなされたものでした。主イエスを信じ従った時(マタイ7章21節)聖霊が注がれ、聖霊が注がれて初めて、癒された男は神を賛美できたのです。

3.邪悪な生活から救われた賛美(26節)
主イエスの名(ヨハネ5章39節)、すなわち、みことばへの信仰は彼らを邪悪な生活から救いました(26節)。わたくしたちも聖書の全部をそのまま信じる時に、主イエスの再臨が分かり、その日に向けて準備しつつ神を賛美できるのです(マルコ16章15節、使徒の働き2章45節、マタイ6章14節〜15節参照)。

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