「預言者の任務」(エゼキエル2章1節〜10節) ( 11.24/2015 ) |
「彼らは反逆の家だから、彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしのことばを彼らに語れ。」(7節) 任務に必要なのは、 1.神の言葉と聖霊(2節) 神がエゼキエルを立ち上がらせられた時、エゼキエルの証言によれば、「その方がわたしに語りかけられると、すぐ、霊が私のうちに入り」(2節)ました。すなわち、神の語りかけを聞いた結果、霊の働きが起こりました。この対極にあるのは(みことばを行う以外の方法です)自分自身のきよい生活のための熱心や経験などです。ローマ書によりますと人間の努力の行き着くところは罪の自覚です。しかし、神の霊にすがるとき、愛が生まれ(ローマ5章5節)神への感謝が湧いてきます。すなわちローマ書3章20節には「律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」そして、ローマ書7章24節から8章4節には「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。・・・肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」パウロも神の御霊だけで律法を愛したのですが、ここでも、エゼキエルのためにみことばと御霊は共に働いています。 2.民(5節) エゼキエルが遣わされたのは反逆の国民に対してでした(3節、5節、6節、8節)。わたくしたちの町にも神の存在を否定している方々が沢山います。「彼らや、彼らのことばを恐れるな。・・・さそりの中に住んでも、恐れるな。・・・そのことばを恐れるな。彼らの顔にひるむな。」(6節)すなわち、エゼキエルが恐れを感じたのは神の側に立ち、神に従っている証拠でした。しかし、それにもかかわらず神が差し出した巻物には「哀歌と、嘆きと、悲しみ」(10節)すなわちエルサレムの滅亡が記してあったというのですが、なぜ、そのような辛い目に遭わされたのかと思うのです。しかし、神からのメッセージは民が聞かなくても伝えよ(5節)でした。 3忠実さ(7節) 「わたしがあなたに与えるものを食べよ」(8節)神から何が与えられるのかと言いますと、哀歌と、嘆きと、悲しみ(10節)だというのです。しかし、その悲しみは敵の力で作り出されたものではなく、人がどう見ようと、悲しみは「わたしがあなたに与えるもの」(8節)すなわち、神の手によって作られたもの(記されたもの)であり、今も神の支配権の中にある悲しみだからです。「あなたは逆らってはならない」(8節)とは、あなたの口を満たすのは神による、必要な力も神から来る、祈りなさい、ということではないでしょうか。食べることができない人に食べさせてくださるのは神です。そして預言を聞く人々に対しては、悔い改める人生が開かれることを期待しますが、否定的な結果を示された上で語ることが求められています。反逆の民ですが神は預言者を握り続け愛を注ぎ続けようとしておられます。祈り続け、主のための務めを積極的に担いましょう。 |
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