「聖なる御名」(詩篇103編1節〜22節) ( 12.29/2015 ) |
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」(1節) 本日は、年末感謝礼拝です。1節を中心聖句に選ばせて頂き、103章全体から神とのお交わりを頂きたいと思います。103章には3つの命令があります。すなわち、「聖なる御名をほめたたえよ」(1節)、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(2節〜14節)、「みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ。主をほめたたえよ」(15節〜22節)です。 1.聖なる御名をほめたたえよ(1節) ここの「ほめたたえよ」と翻訳されている言葉には、「祝福する」という意味があります。皆さんの家の中には沢山の大切なものがあるのではないかと思います。けれども、一番大切なものは無くさないように手の届かないところに片付けておられるのではないでしょうか。この、聖なる御名を祝福せよとは、聖なる神を知っているけれども、聖なる神をしまい込んでしまい、知っているけれども生活の中に聖なる神は出て来ないということのないようにという意味です。家庭の中で聖霊に従ってみましょう。すなわち、聖霊を好きになることです。 2.主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな(2節〜14節) 「主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」ある牧師は経済的な理由で高校3先生の時に大学進学を諦めざるを得なかったそうです。しかし、祈った答えが高校3年の一年間が最後の勉強が許されている時であることを悟って、一生涯、もう勉強できなくなる最後の年として懸命に勉強されたそうです。まだ、解決されていない課題があると思います。しかし、神は必ず良きもので満たされるのです。この牧師はこの時のことを振り返って、もし、神に祈っていなかったら人生を投げ出して罪に落ちていたかもしれない、しかし、同じ困難でも祈って祈って祈った末に受け止めたとき、神は最善に導いてくださった。そして、何よりも感謝だったことは、試練と戦ったことによって神が人生を罪の支配から守って下さったことだと証ししておられました。神は困難が解決される前に何よりも尊いもの、すなわち、神の聖さを人生に与えて下さっていたというのです。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4章7節)病が癒される前から神にお従いしましょう。 3.みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ。主をほめたたえよ(15節〜22節) 「みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ」とは、聖書を読み祈ることが、仕事後の余暇よりも楽しみであるという状態を言い表しています。仕事に疲れると頭を使わなくてよい、そんな楽しみが欲しくなるのではないでしょうか。15節から19節までを読んでいただきたいのですが、人がどんなにはかなく弱い存在であるかが描写されています。しかし、「主の恵み」が注がれる人生があるのだよと教えています。主を恐れ(17節)、主の契約を守り、その戒めを心に留めて、行う(18節)中で主の恵みは注がれます。19節には、みことばと祈りに生きる人生が空しくならない理由が記されています。それは、天の王座には主が座っておられ、すべてを治めておられるからとあります。実は、わたくしたちはいつも、神の御業を見ているのです。草のように弱くても、神を恐れるなら大丈夫です。すなわち、聖書を読み祈り従う時間により神との交わりを得ましょう。聞くだけで行わない場合、神は恵みを上にのせることができないと言っておられます。そして神を恐れる生活の行き着く所は愛です(マタイ27章37節〜40節参照)。神はとなり人に恥をかかせるお方ではなく、神の愛はど真ん中に向かうのです。その道であるみことばと祈りを喜びとしましょう。 今年わたくしたちの教会も主の恵みとあわれみによって、沢山の主のみわざを、彼のそばで見せて頂きました(4節〜5節)。聖なる主をほめたたえましょう。そして、来年も聖なる主と共に歩み、主を呼吸することが、そのまま主への賛美になっていくのです。 |
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