「弟子たちの派遣」(マタイ28章16節〜20節) ( 1.5/2016 )
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」(18節)

一切の権威は、世にあるのではなく主イエスにあります。主イエスを待ち望みましょう。そして主の栄光を見て、主に栄光をお返ししましょう。4つの「すべて、いつも」に注目してみましょう。

1.一切の権能
一切の権威が主イエスに与えられています。ですから、わたくしたち自身が変えられるためにも、隣人のためにも権威者である主イエスに祈るのです。一瞬一瞬神から賜わる恵みの石高(深さ)は更新されているのです。この場合の石高とは主イエスのことです。恐らく、大きな痛みや悲しみ、苦しみによってさえ主に会っているのです。主イエスがわたしのくびき(マタイ11章28節〜30節)を負うてわたしに学びなさいと言われたからです。そして、今後も、祈りによって解決するのです(マルコ9章29節)。わたくしの場合は祈った結果、黙示録20章4節によって主イエスから一つの解決を頂きました(ルカ16章29節)。解決する力は主イエスが手にしておられます。恵みは主から来るのです。

2.すべての民にすべてのことを守るように教えよ
全世界のすべて民を主イエスの弟子とすること、これが主イエスの御命令です。他の誰の弟子でもありません。人々に主イエスをご紹介し、主イエスの弟子になるようにと勧めるのです。
次に、父、子、聖霊の御名によって彼らにバプテスマを授け、主から命じられた一切のことを守る(見守る、見張る、保つ)ように教えなさいと命じられています。しかし大切なことは、これは、わたくしたちの力によってなされることではなく主イエスの権能によってなされるのです。ですから、出て行くすべての所で、主イエスの権能が現されることを待ち望むのです。そして、主の栄光を見たならば、必ず、栄光を主にお返しすべきことも併せて教えましょう。

3.いつも共にいる
ひとりで居る時も、大勢の中に紛れている時も主イエスは共におられます。孤独なときは、本当は無いのです。どんな死が待っていたとしても、その時も「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」とおっしゃって下さる主イエスは、世の終わりまでかたえに生きていてくださるのです。

すべては、権威者である主イエスの御業なのです。ゆえに、権威者である主イエスに栄光が帰されるべきなのです。主イエスを祈りを通して待ち望み、体験し、彼を賛美しましょう。

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