「私たちにできること」(箴言16章31節〜33節) ( 1.12/2016 )
「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」(33節)

このみことばは、くじにまでも主の主権が及んでいることを表しています。ですから、ここの要点は、人は心配を捨てて良いということです。思い煩いを捨てるだけでなく、今まで思い煩うために使っていた時間を、聖書を読み、神に祈り、神から恵みを受けるために使ってよいのです。例えば、マタイ7章12節には「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」と教えられています。それは天におられるあなたがたの父が、求めてくる者たちに良いものを与えようとしてくださっているからだというのです。すなわち、新約聖書の一部分を読むだけでも、何が神の御心なのかを知ることができ、その通りに生活するとき、神の愛を体験することができるのです。

さて、主のくじを受け入れるために、私たちにできることは、

1.忍耐が必要です
「しらがは光栄の冠、それは正義の道に見出される」(箴言16章31節)ここには、何十年も正しく歩み続けることに価値があると宣言されています。人生には、様々な不幸や苦しみを通されることがあります。ですから、正しい生活の根底には神への畏れが必要なのではないでしょうか。それは、主イエスによれば、主イエスを人の前で認めることです。そして、それは自分が多くの雀よりも優れたものであることを認めることであり、頭の毛さえも、みな数えられていることを信じることであり、雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしに地に落ちることはないと信じることなのです(マタイ10章29節〜31節)。すなわち、自分のいのちを自分のものとしない人のことです。「わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10章39節)と約束されています。自分のいのちも主のものであると認める時に、わたくしたちの心の不安は消え、聖なる静けさをもつのです。「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」(マタイ10章32節)とあります。わたくしたちは小さな者であったとしても既に主のものとされているのです。

2.主の御業に干渉せず自分の務めに励むこと
「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうはあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。」(マタイ6章29節〜34節)わたくしたちはただ、主イエスの御業に干渉しないようにしましょう。すなわち、自分の運命や環境に心を奪われて思い悩まないように祈りましょう。備えることは主イエスがご自身の務めとして下さっています。わたくしたちの責任は、備えることではなく彼に従うことなのです。

3.神の倉を見ること
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイ6章26節)神の倉を見ましょう。そこにはおびただしい蓄えがあるのですから、神がわたくしたちを飢えさせるようなことがあるでしょうか。一羽の雀が地に落ちるためにも父なる神の許しが必要だとすれば(マタイ10章29節)、わたくしたちが不幸に見舞われることを簡単にお許しになるはずがありません。そして、神の測り知れない知恵には間違えはありません。それは、わたくしたちをとりなしてくださるお方が主イエスだからです。主イエスがとりなしてくださっているのに、御父が冷たく扱われることがあるでしょうか。「さて、わたしたちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」(へブル4章14節)神の倉には既に必要が備えられています。聖霊の働きでないと何も起こりません。心から主イエスを信じると聖霊は心の内に来てくださいます。聖霊がわたくしたちを変えて下さるのです。みことばに従うには聖霊の助けが必要です。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです。」(1ペテロ5章7節)「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩篇55篇22節、23節)真の牧会者は神です。苦しみも悲しみも神に訴えながら、新しく神にお従いしましょう。神の御前で諦めたら、神が全ての責任者になって下さいます。神に祈るなら御霊を満たして支えてくださいます。「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。」(マタイ6章32節〜34節)。(参考図書;C・H・スポルジョン『朝ごとに』いのちのことば社、1987年)

TOP