代わりを立てなくても良いみたい(イザヤ書28章) ( 10.24/2010 )
「それゆえ、あなたがたはあざけってはならない。さもないと、あなたがたのなわめは、きびしくなる。」(22節)

戦争を体験したことのない者にとってこのイザヤ書28章を理解することは難しいと感じます。日本でも戦時中には多くの叫びと涙があり、平和の大切さを学んできました。

イスラエルの場合は、神は預言者を通して「これが安息だよ」と教えたのだけれども人々が聞こうとしないので、神はある面刑罰として教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則を与え信じさせて、人々がわなにかけられ捕らえられるようにするというのです。(なんとひどい話だ)と感じますが、この事に荷担した指導者たちに対しては15節に「あなたがたは言った、「われわれは死と契約をなし、陰府と協定を結んだ。みなぎりあふれる災の過ぎる時にも、それはわれわれに来ない。われわれはうそを避け所となし、偽りをもって身をかくしたからである」。」これはアッシリヤに隠れてエジプトを頼みとしたことを意味しています。そして17節にはそれに対して神は、「ひょうは偽りの避け所を滅ぼし、水は隠れ場を押し倒す」と語られます。その時のことについて18節には「陰府と結んだ協定は行われない。」と記されています。
 
けれどもやがて無理な支配の無い時代が来ます(23〜29節)。家庭の中でも父親が力が足らなくてもそのままを受け入れ、女性が強くても神が造られたそのままを良しとし、互いに愛し受け入れ合って生活できる時が来るのです。農作物を育てる方々が何億年の経験の中で学び語り継いでこられたように、私たちも互いを理解し生かされる時が来るのです。別な喜びや安全を捜さないで隣り人が生かされる言葉を用いましょう。

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