「一執事にあらず」(使徒の働き6章1節〜7節) ( 2.9/2016 )
「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。」(3節)

御霊と知恵に満たされるということは、自分の人生を豊かなものにするだけではありませんでした。神はステパノの人生を通して大迫害を起こし、多くの人々は散らされ、散らされた人々はみことばを宣べながら巡り歩きました(使徒8章4節)。また、彼の死にはサウロ、後のパウロも関わっていました(使徒8章1節)。一人の人が御霊と知恵に満たされるということは世界に関わる一大事なのです。彼は一執事にあらず、神の御手に握られていました。

1.執事のはじまり
初代教会は使徒たちの教えを守り、信徒の交わりを行い、互いにパンをさき(主の十字架の贖いを記念し)、祈りをしながら成長していきました。そのような中で、ユダヤ教の良い習慣を継承し、やもめに配給をしていました。この配給の問題でギリシャ語を使うユダヤ人とヘブル語(当時はアラム語)を使うユダヤ人の間にいさかいが起こりました。その解決の方法が執事の選任でした。彼らは御霊と知恵によってこの問題を解決しました。

2.宣教の器
彼らが直接かかわったのは貧しい人々だったと思われます。すなわち、盆と呼ばれる食糧の喜捨から、貧しい見知らぬ人々に糧を届けていたのです(新共同訳新約聖書注解1、日本基督教団出版局、569頁)。教会の外の方々への愛の働きを彼らは担っていました。
「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25章40節)

3.御霊の器
ステパノと接した人々は神の不思議なわざを体験しました。神がステパノや執事たちを通して働いてくださったのです。一体、どういう現象が起きていたのでしょうか。人それぞれにカラーがあると思うのですが、ステパノをはじめ執事たちは御霊の栄光一色だったのではないでしょうか。

どうすれば、御霊の器になれるのでしょうか。ある、ネパールの宣教師は救われる方のない中、子どもも病にかかり、失意の中、帰国しようとしたそうです。そんな中、主イエスは夢に現れて、「おまえまで、宣教をやめてしまったら、誰がこの人々に福音を語るんだ」と語りかけられたそうです。反対や無関心や病や経済的困難など、様々な問題が起こると思いますが、祈るときに、そのすべてを知りつつ支えてくださっている主イエスにお会いできるのです。共に居てくださる主イエスだけをお証ししましょう。そのために常に祈りましょう。

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