「主イエスはよみがえられた」(ルカ24章1節〜12節) ( 3.29/2016 )
「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。」(5節)

イースターは、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念する、キリスト教において最も重要な祭で、3月21日(昼と夜の長さがほぼ同じになる日)以後の満月の次の最初の日曜日に祝います。教会では、その日には多くの場合ゆで卵が配られますが、見た目には動かない卵から新しい生命が生まれ出ることから、死と復活を象徴しているとされています。

1.おちいりやすい現状

3節から4節を見て頂きますと、「主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると」とあります。彼女たちは墓の中には主イエスのからだはないのに探し回って失望していました。また、17節、イエスのことを話していた二人の弟子は「暗い顔つき」で会葬者のような心持になっていました。しかし、主イエスは死からよみがえられたのです。「ここにはおられません。よみがえられたのです。」(6節)

2、生きておられる主イエス

1節には女たちは「準備していた香料を持って」墓に着きました。けれども、マルコ14章3節から9節を読みますと、主イエスに香料を塗るときは、すでに過ぎ去っていたのです。わたくしたちにも、主イエスのからだを見、そして触れることはできませんが、聖書を通して聖霊は主イエスをわたくしたちの実体験にしてくださるのです。「何事も思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。」(ピリピ4章6節)、「なんぢら今までは何をも我が名によりて求めたることなし。求めよ、さらば受けん。しかして汝らのよろこびみたさるべし。」(ヨハネ16章24節)、「なんぢら悔改めて、おのおの罪の赦しを得んために、イエス・キリストの名によりてバプテスマを受けよ、さらば聖霊の賜物を受けん。」(使徒行伝2章38節)

3.生きておられる主イエスを捜すということは、

1.みことばを思い出すこと(1節〜12節、8節)。聖霊に主権を明け渡すなら、聖霊は主の約束を思い出させ、励ましてくださるのです。「助主(たすけぬし)すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖霊は、汝らによろずの事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思い出さしむべし。」(ヨハネ14章24節)

2.みことばを身につけること(13節〜35節)。ただ、聖霊が語り教えることをあなたが許すなら、悲しい人生から恵みを分かつ人生に変えて頂けるのです。「彼すなはち真理の御霊きたらん時、なんぢらを導きて真理をことごとく悟(さと)らしめん。…」(ヨハネ16章13節〜15節)
幸せへの第一歩としてみことばを受け取り(36節〜45節)どんなに大きな悩みに襲われても、おびえても、わからないことだらけでも、みことばによって主イエスを経験し理解しましょう(ヨハネ14章1節〜6節、ルカ24章26節)。

3.みことばを伝えること(46節〜53節)。「あなたがたは、これらのことの証人です」(48節)キリストから頼まれごとをしているということです。罪の赦しを与える悔改めを全世界の人々に伝えましょう。「柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。」(マタイ11章8節)十字架にかかってくださった主イエスを知り彼を伝えましょう。(参考図書;Warren W. Wiersbe “With the Word”(Nashville:Thomas Nelson Publishers1982))

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