「成長させたのは神」(1コリント3章6節〜7節) ( 5.17/2016 )
「しかし、成長させたのは神です。」(6節)

本日はペンテコステ礼拝です。聖霊降臨の日は、復活祭から数えて50日後に祝われる移動祝日です。神我らと共にいます(マタイ1章23節)、が実現した日です。この聖霊降臨に向けてわたくしたちを成長させてくださるのは神です。わたくしたちの教会は神の教会なのです。聖霊を受けるには

1.悪しき霊に勝つために祈る
初代教会の時代から、聖霊を受けるための方法は祈りです(使徒1章14節)。聖霊はどうしても必要なお方であり、聖霊を受けるまで祈るとき、問題は解決します。マルコ2章29節の、「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」は真実です。祈りによって、わたくしたちを動けなくしている霊から解き放たれなければ、わたくしたちの生活は変わりません。サタンに勝てない教会は正しい教会にはなれません。しかし、ただ、教会の成長は聖霊の恵みによるのです。心を込め、真実に、命がけで祈りましょう。神は答えて下さいます。

2.神の憐れみを信じて祈る
へブル11章6節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。神が報いてくださる神はどんな罪人の祈りでも喜んでくださるのです。「わたしを求めて生きよ。…善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたとともにおられよう。」(アモス5章4節〜15節)。死罪になり十字架につけられた犯罪人も主イエスに求めて生きました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と彼は祈り、主イエスから、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23章42節、43節)と溢れる報いを受けました。マタイ7章7節から11節には、「求めなさい。そうすれば、与えられます。」とあります。子が魚を求めるのに、蛇を与えるようなことをしないように、天におられるわたくしたちの父も一番良いもので満たしてくださるのです。

3.神を愛し信頼して祈る
信仰の人は神を愛する愛を持っています。神に近づきたい、神の御声を聞きたいと願って聖書を読み、聞き従います。一方、自分勝手に生きている人は神を愛している人ではありません。まず、聖書を読まなければなりません。例えば、申命記28章1節から14節(351頁、2版は321頁)です。申命記6章24節には「すべてのおきて」とありますが、この聖書には神が祝福を与えるための約束が記されています(申命記10章13節)。詩篇19篇10節には、「蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い」と。モーセはすべて祈りによって問題を解決しました。彼は祈りによって神に出会っていました。ある牧師は、悪い噂が広まってしまったとき、信頼されていないことを悲しく思い神に祈り訴えたそうです。その時、神からの答えは、(あなたはわたしを信頼したのか)と語られたそうです。

ペンテコステの経験は大切なものです。もし、ペンテコステを求めないなら、「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。」(1コリント2章14節)とあります。彼は聖霊を愚かなものと考え、軽んじ、自分勝手に生きてしまうのです。そのとき、わたくしたちは残念ながら生まれながらの人間であり、悔い改めが必要です(使徒2章38節)。ゆえに、聖霊様の恵みを知り、教会の使命を知り、ペンテコステを求め、悔い改めて、世に属する仲良しグループから脱却しなければなりません。
ヤコブ4章2節を読みましょう。聖霊を求めないで生きた結果の悲惨さは、うらやみ、争い、戦いです。

1.聞かれる祈りをささげよう
ローマ14章23節「信仰から出ていないことは、みな罪です。」信仰による祈とは神の栄光のための祈りです。罪に生きるなら答えられません。神の栄光とはわたくしたちが神と交わり、罪赦され罪から離れていくことです。神を喜ぶ心を持つとき、神を愛しているから神に喜ばれることを行います。反対に欲望を満たそうとしている人は神への愛はなく、神もすぐに答えることができないのです。憎しみも過失も乗り越えていこうとするとき、神はすぐに答えて下さるのです。

2.主の御心を行う決心をしよう
マタイ7章24節「わたしの父のみこころを行うものが入る」その時にみことばを100パーセント信じ、正しく読むことが大切です。1ヨハネ5章14節には「みこころにかなう願いをするなら」とあります。そして、神に従う決意をもって祈るのです。その時、アナニヤもサウロ(パウロ)も神の御計画を聞きました(使徒9章15節〜16節、26章16節〜18節)。神は幻のとおり成就して下さるのです。

3.粘り強く祈ろう
ルカ18章のやもめは、自分のうちには裁判官の心を動かす力を持っていませんでした。地位も権力も財力もなかったのです。しかし、粘り強さがありました。彼女が退かないですんだ根底には、主への信仰がありました。主は必ず良いものを下さるという信仰、そして、できるという信仰です。

4.へりくだって祈ろう
成長させたのは神とは、主が教会の牧会者だということです。聞き従う思いをもって祈りましょう。主の主権を認めて祈りましょう。「あなたの御心がなります。」と。祈りによって奇跡は起きたのです(使徒1章4節)。

5.祈りぬこう
マタイ6章14節〜15節、和解していない人いませんか。使徒2章38節、悔い改めていないことはありませんか。コロサイ3章13節〜14節、赦していないことは残っていませんか。夫婦も、赦すだけでなく、励まし、更に愛することが大切です。絶対に神が喜ばれないことは、のろうことです(ローマ12章14節)。神のみことば通りにしないということは、神の子ではないのです(マタイ5章24節)。しかし、神は祈りを導き、わたくしたちをつくり変え、栄光を受けて下さるのです。

TOP