眠れる預言者(イザヤ書29章1〜24節) ( 11.7/2010 ) |
「目はその暗やみから、見ることができる。」(18節b) 収穫の季節になってまいりました。先日もご近所の方から収穫したてのお野菜をいただき地域の方々にも愛していただきまして感謝いたしました。 このイザヤ29章には、神はアリエル(エルサレムのこと)を、ちりの中からさえずるような絶望の中から救い出してくださったのだけれども預言者の目がくらまされてしまったと記されています(9〜10節)。そしてそれは「人の戒め」によって儀礼的に神を敬っているに過ぎないので知恵が隠されたのだというのです。そして暗いところで(エジプトと)密約を結ぶために、神からの注意を受けています(13〜16節)。けれども、そのようなイスラエルに対して17節以降には子孫が祝福に預かると記されています。 「あやまっちまう」という方言がございますが、まず預言者にあやまっちまいます。わたくしのことですが、聖書が理解できず(11〜12節)、神に対して形骸化した信仰しか持てず(13〜16節)、苦しむ人々を受け入れることができず慰めることもできない(20〜21節)。 けれども誤りが正されるときが来ました。29章はバビロンから解放されるときの預言かもしれませんが、私たちにとっても新約聖書にはイエス様が弟子たちに「あなた方の手で食物をやりなさい」と言われました(マタイ14章16節)。牧師としてできることがあるとおもいます。またわたくしたちみんなが、隣人のためにできることがあると思います。「心あやまれる者も悟りを得、つぶやく者も教えを受ける(24節)。」悟りを得る日は来ています。 |
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