「教会とは」(使徒の働き15章1節〜35節) ( 6.20/2016 ) |
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを信じますが、あの人たちもそうなのです。」(11節) 教会とはどのようなところなのでしょうか。教会が生まれて間もない頃、社会的にはキリスト教会とはユダヤ教の一派と思われていました。事実、当時教会に集う人々の大多数がユダヤ教からの改宗者たちでした。 彼らが重んじていたものは律法であり、一部の人々は割礼を受けてユダヤ人になってからでないと洗礼は受けられないと考えていました(詳しくはガラテヤ人への手紙を参照)。「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5章6節)その他、ローマ2章25節から29節参照。教会とは、 1.救いについて証言されているところ イ.それは神の御業 「神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」(11章17節)「彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。」(10章46節)神は聖霊を与えました「人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし」(15章8節)。 ロ.それは聖霊の御業 「異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」(15章8節〜9節) ハ.それは恵みの御業 「なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首にかけて、神を試みようとするのです。」(15章10節)救いは築くものではなく、すでに備えられているものです。「わたしの名で呼ばれる異邦人が、主を求めるようになるため」(15章17節) 2.聖霊の御業が証言されているところ(28節) 教会は神の愛が現れ、主イエス様が崇められ、「栄光は神のものです」と、聖霊によって神に栄光が帰されるところです。「聖霊と私たちは、…決めました」 3.神が証言されているところ(11節) 神の恵みが私たちを救うことを証言する場が教会です。ペテロ自身が恵みの体験者でした。「しかしペテロは、『あなたの言うことは私にはわかりません』と言った、それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『今日、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う』と言われた主のおことばを思い出した。彼は外に出て、激しく泣いた。」(ルカ22章60節〜62節)「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを信じますが、あの人たちもそうなのです。」(使徒15章11節)ユダヤ人も異邦人も罪びとも、人間の判断を超え、割礼でなく主イエスが救って下さったのです「『しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。』ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」(使徒10章40節〜44節)。主イエスの恵みによって雲は晴れ、律法でなく神を礼拝できるようにされたのです。 |
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