「主イエスによる救い」(使徒の働き16章16節〜34節) ( 7.5/2016 ) |
「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。」(31節) 救いとは、心に愛を受けることです。愛はどこから来るのでしょうか。主イエスがわたくしたちの心に愛を与えてくださるのです。救いとは、 1.敵を赦し愛すること 獄吏が見た救いはパウロとシラスの生活の中にありました。パウロとシラスは牢獄で足に足かせを掛けられていました。しかし、彼らの心には自分に足かせを掛けた人々を愛する思いがありました。すなわち、地震が起こり牢の扉が開き、鎖が外れても彼らは逃亡せず、獄吏の自害を防ぎました。彼らは牢の中でも主イエスを礼拝していました。主イエスはこの二人に獄吏を赦し愛するようにさせました。 2.主イエスを信じること 獄吏は、救いとは自分の欲望の充足ではなく、主イエスと共に生活することであると知ったのです。獄吏は「救われるためには、何をしなければなりませんか」(30節)と質問しました。その答えは、「主イエスを信じなさい」(31節)でした。敵を赦し愛すること、すなわち、主イエスの御心が私たちの生活に現れるのは、わたくしたちの務めではなく、主イエスの御業だったのです。 3.あなたもあなたの家族も救う 隣人を受け入れられないとき、まず、わたくしたちの罪が主イエスを十字架につけてしまったことを思い、悔い改めましょう(使徒の働き2章38節)。そして、主イエスによる罪の赦しを信じ、聖霊を心に満たしていただきましょう。隣人の心に触れることができるのは私たちではありません。ご聖霊だけです。 主イエスはあなたの人生を変え、主イエスはあなたの家族にも救いへの渇望と主イエスへの信仰を与え、愛と平和を与えてくださいます。「この女から出ていけ」(18節)という主の御声を信じましょう。偶像の首領を喜ばせる生活は終わるのです(19節)。 わたくしたちには何もできません。しかし弱さの中で、ひたすらに罪を悔い改めながら主イエスを賛美し祈りましょう。これが私たちにできるすべてです。聖霊が家族にも救いの御手を伸ばしてくださるのです。栄光も結果も主イエスだけのものです。 |
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