隠れることのない神(イザヤ書30章8〜22節) ( 11.14/2010 )
「たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。」(20節)


この30章はユダの国は親アッシリヤの証として貢ぎを納め経済的な支配を受けている時代でした。そのために隠れてエジプトの助けを求めていたのですが、この現実の中で神に信頼しきれないユダの苦しんでいる様子がうかがわれる所です。またその中でイザヤは悲観的な預言をしていたようです(10節)。そのために民の心は神と預言者から遠く離れ、神の言葉を聞くことができず神以外のものに頼みをおくようになっていったようです。


けれども、15節には「立ち返って」、18節には「主は待っていて」と、背こうとする民に対して語りかけていますが、このイザヤ書30章の場合、神が助けてくださるという約束と、歴史の事実があまりにもかけ離れていて神の約束を額面通り受け取ることに困難を感じます。これは神の助けを現実の生活の中に願ってきた結果です。


しかし、本当の助けは「たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る」(20節)でないかと思うのです。また、右や左に行くときに、「これは道だ」と側で励ましてくださるお方に出会うことでないかと思うのです。


今日困難の中におられますか。神はあなたの傍らにおられます。

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