「言ってはならない言葉」(エゼキエル9章1節〜11節) ( 8.29/2016 )
すると、主は私に仰せられた。「イスラエルとユダの家の咎は非常に大きく、この国は虐殺の血で満ち、町も罪悪で満ちている。それは、彼らが、『主はこの国を見捨てられた。主は見ておられない』と言ったからだ。…」(9節)

神がおられるなら、こんなことは許されるはずがない、ということは世界中に溢れています。しかし、神は知っておられ、見ておられるのです。わたくしたちを見捨ててはおられないのです。

激しい試みの中で神への不信仰を続けていると、

1.忌み嫌うべきことを嘆き、悲しまなくなってしまう(4節)
罪とわかっていながら容認するようになってしまうのです。神は「しるし」(4節)で明確に区別されるのです。ですから、今、罪を悔い改めて、罪と別れましょう。悪に負けてはなりません。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7章7節〜27節)

2.滅ぼされる(5節〜8節、10節)
やがて、裁きの日は訪れます。その日には惜しまれることもなく、憐れまれることもありません。(1ペテロ4章17節)

3.神の愛を知らぬまま一生を終えてしまう(9節)
オリンピックが終わりました。ある選手が、自分を打ち負かした選手のことを、「自分よりたくさん練習しておられたということです」と言っておられました。「『主は見ておられない』と言ったからだ」(9節)とあります。主はすべてを見ておられます。見捨ててはおられません。そして、み旨を遂行されます。たくさんの試練に遭っても神の目は私たちに注がれています。

神の傷ついた心が現れている箇所ではないでしょうか。今日から不信仰をやめ、罪を捨て、神の側に立とうではありませんか。聖霊様が働かないと一生かかってもわたくしたちの心は変わりません。自分の考えに支配され続けます。しかし、心からイエス様を信じて神の子になると、聖霊様が来てくださるので、聖霊様によって姿が変わります。ですから、他の人が見て変わっていないなら、まだイエス様を信じていないということです。どうして変わらないのか、心に神への不信というサタンの種がまだ残っているからです。牧師はこの問題のために立てられています。この教会は、使徒の働き6章のように、牧師がもっぱら祈りとみことばの奉仕に励めるようにと役員会で決議されました。優先順位を決めたのです。「生まれながらの人は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(1コリント2章14節)御霊によって導かれると決めたのです。(聖霊様、愚かなこと)と思われた方がおられるなら、その方は聖霊様の働きを望んでいない方です。すなわち、クリスチャンではないのです。「あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。」(1コリント3章3節)「『終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。』この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。しかし、愛する人々よ。…聖霊によって祈り、」(ユダ18節〜)主イエス様を信じ聖霊に満たされて、御霊によって欲望から救われ、御霊によって変えられましょう。変わっていない人には聖霊の恵みが無いのです。聖霊によって変えられていきましょう。まず牧師から初めて新来会者まで、日々変えられるようにお祈りしましょう。

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