「王なるイエス」(ルカ13章1節〜35節) ( 9.20/2016 )
「見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」(35節)

1.主イエスには立ち上がらせることができる(1節〜22節)

2.模造を捨て、不正をやめること(23節〜35節)

3.みことばを握り締め祈り解決すること(35節)
アブラハムは「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11章8節)しかしわたくしたちは、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。(出エジプト16章3節)というように、エジプトの生活に慣らされていて、信仰によって生活する体験が不足しています。
アブラハムの特徴は御言葉への信仰でした。
「その後、主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。」(創世記12章1節〜4節)
神のみ言葉である聖書を読むときに、わたくしたちの心に迫って来るのはわたくしたちの品性の汚れの問題です。アブラハムのようにチャレンジを受けるのです。しかし、世に対してわたくしたちはあまりにも無力なのです(ルカ13章26節〜28節)。
ところが、主イエスが与えてくださる聖霊は、主イエスのみことばを思い起こさせ、勝利へと導いてくださるのです。ヨハネ14章26節「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」神はみことばを与え、聖霊により、みことばの通りに品性をきよめてくださるのです。
ある牧師は、若い時に、誘惑と戦う経験をし、祈ることによって神からみことばを頂き、聖霊を受けたことが生涯の祝福となっていると証しされていました。
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119篇9節)みことばをたくさん読んで祈りましょう。
みことばが証している主イエス様は18年間サタンに縛られていた人を思いやり、救ってくださったお方です(16節)。私たちをも救い、新しい人生を与えてくださるのです。悔い改めの祈りは必ず聞かれます。みことば(主イエス様)の力によって不法を捨てましょう。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』と祈り主の力を体験しましょう。王は、サタンではなく主イエス様です。

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