「主イエス様について行こう」(ルカ9章18節〜27節) ( 1.16/2017 )
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(23節)

1.主イエス様は神であり、救い主です(20節)
主イエス様はどのようなお方なのでしょうか。「神のキリストです。」がその答えです。ヨハネは「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1章3節)主イエス様と私たちは造り主と被造物の関係です。切っても切れない関係です。そして罪から救ってくださるお方です。

2.主イエス様についていこう(23節)
「イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。」(ルカ8章44節)主イエス様について行ったら問題は解決します。どんな問題なのでしょうか。例えば、「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」(ルカ6章35節〜36節)誰を見、ついて行くのかを誤ると大変なことになります。人について行くと罪に溺れることになります。主イエス様について行きましょう。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(ルカ9章23節)

3.全世界と自分は別物(25節)
「人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」当たり前のことかもしれませんが、ここに確かに記されています。全世界よりもあなたは大切な存在です。けれども、全世界の力は強く、私たちを様々な偶像の虜にしようとします。しかし、対策はあります。「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」(9章24節)主イエス様に聞き従ってみようではありませんか。
「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(5章32節)世という主人と別れて、主イエス様に従いましょう。

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