「主の正しさ」(エゼキエル12章1節〜16節) ( 1.24/2017 )
「彼らが行く先の諸国の民の中で、自分たちの、忌みきらうべきわざをことごとく知らせるために、わたしが彼らのうちのわずかな者を、剣やききんや疫病から免れさせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(16節)

聖書を読みますと、神様(聖書では「主」と呼んでいます)はご自身の正しさを伝えるために、人の証言を用いられると記してあります。神様のために証人とされる人はどのようにして生まれるのでしょうか。

1.預言者の役割
人々はバビロン捕囚について『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』(22節)ということをことわざとするほどに主の言葉を無視し続けていました。しかし、そのような民に対する主の御心は愛でした。「人の子よ。あなたは捕囚のための荷物を整え、彼らの見ている前で、昼のうちに移れ。彼らの見ている前で、今いる所から他の所へ移れ。もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることがわかるかもしれない。」(3節)自分たちが主に反逆していると気づいてほしいと願ってくださっているのです。そのために、預言者に課せられた務めは主の言葉通りに行うことでした。「そこで、私は命じられたとおりに、私の荷物を捕囚のための荷物のようにして昼のうちに持ち出し、…」(7節)

2.主を知る時が来る
彼らの君主であるヒゼキヤには彼を守るための軍隊がいました。民衆が主の言葉を否定した根拠はその武力にあったようです。しかし、「わたしが彼らを諸国の民の中に散らし、国々に追い散らすとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(15節)主はバビロンを用いて人々が信頼していた軍隊を四方に追い散らし、剣を抜いて彼らのあとを追うときが来る、その時には、わたしが主であることを知ろうと言ってくださいました。

3.恵みに与る者たちがいる
主は神の裁きがエルサレムの人々に下る時に、「剣やききんや疫病から免れさせる」(16節)人々を起こされました。それは「彼らが行く先の諸国の民の中で、自分たちの、忌みきらうべきわざをことごとく知らせるため」(16節)でした。「忌みきらうべきわざ」とは、何でしょうか。主の言葉への反逆です(2節、3節、9節)。もっとくだけた言い方をしますと主以外のもので心を満たしてきたことが忌み嫌うべきわざです。けれども、わずかですけれども、少数の人々は残され、裁きをまぬかれ、行ったことがある。それが、自分たちが過去に何に従っていたか、そのあやまちを証する事だったというのです。

自分たちの過去の過ちを認めた者の命を救い、主の正しさの証人とすると言われています。自分の正しさではなく、主の正しさを証する人生、チャレンジしてみようではありませんか。

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