「望み」(使徒の働き27章9節〜44節) ( 2.7/2017 ) |
「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」(25節) 以前、住んでいた教会の近くで大きな事件が起こりました。警察の方が目撃者を捜して訪ねてこられました。現代、様々な問題が起こっておりますが私たちが聖書を手に取って読めるということは、神が私たちの証言を求めていてくださるということではないでしょうか。 1.神との出会い(18節〜26節) 「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(22節〜26節) パウロは航海の専門家ではありませんでした。しかし、神の言葉を信じる信仰を持っていました。 2.神を証ししよう(35節〜37節) 「彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。 そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。」 彼は二百七十六人の前で神に祈りをささげ、神が生きておられることを証ししました。 3.神が救ってくださる(44節) 「それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。」 神はみこころのままに、板切れで命を救ってくださるお方です。船具を投げ捨て(19節)、「潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。」(41節)船も失われましたが、船の壊れた破片が救命具であったというのです。 ヨハネの黙示録を読みますと、本物の救命具は主イエス様を証しすることと神のことばであることが分かります。「また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。」(ヨハネの黙示録20章4節〜6節) 海上の嵐のように人生は危険で満ちています。しかし、神は生きておられ、主イエス様を信じる人を救ってくださいます。パウロには救命具を切り出す力はありませんでしたが、神が彼の証を聞いた人々の救命具を準備してくださいました。聖書を読み、現実を認め、そして祈りましょう。「助かる最後の望みも今や絶たれようとしている」(20節)方はいないでしょうか。望み(イエスのあかしと神のことば)があります。主イエス様がおられます。ですから、泣かなくてもよいのです。 |
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