「告発された預言者」(エゼキエル13章4節〜5節) ( 2.28/2017 ) |
「あなたがたは、主の日に、戦いに耐えるために、破れ口を修理もせず、イスラエルの家の石垣も築かなかった。」(5節) 預言者は神の側について民に神の言葉を語る人で、祭司は民の側について民のためにとりなしをする人でした。さて、エルサレムの預言者たちは神が語っておられないメッセージを語ってしまっていたというのがこの13章のテーマです。そのメッセージとは「平安」でした。なぜ、神が語るように命じておられないことを語ったのでしょうか。 1.偽預言者への言葉(2節) 神が偽預言者たちに語られたのは、「主の言葉を聞け」でした。 偽預言者たちが主の言葉を聞くのを妨げたものは何だったのでしょうか。 「自分の心のままに預言する」これが、その理由でした。自分の知恵で問題の解決を求めてしまっていたのです。しかし、問題の解決は「主の言葉」にあったのです。 2.預言者の責任(5節) 「あなたがたは、主の日に、戦いに耐えるために、破れ口を修理もせず、イスラエルの家の石垣も築かなかった。」 それは、主の日に、戦いに耐えるようにすること そして、破れ口を修理すること そして、イスラエルの家の石垣を築くことでした。 彼らの現状は「廃墟にいる狐のようだ」(4節)壊れていることを受け入れてしまっているばかりか、その状態に溶け込んでいました。 これは、実際の城壁が壊されているというだけでなく、 22節「あなたがたは、わたしが悲しませなかったのに、正しい人の心を偽りで悲しませ、悪者を力づけ、彼が悪の道から立ち返って生きるようにしなかった。」すなわち、預言者としての役割を忘れていると訴えられているのです。 3.民を生かすこと(5節) 主は語られていなかったのではなく、語られていたのです。 「あなたがたは、主の日に、戦いに耐えるために、破れ口を修理もせず、イスラエルの家の石垣も築かなかった。」(5節) 民を守ることが預言者の務めでした。破れているところがあるなら修理すること、それが預言者の務めなのです。平安よりも民の命を守ることために働くようにと召されているのです。 |
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