「脱権威」(エペソ3章10節〜12節) ( 3.20/2017 )
「これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって」(10節)

1.今、天にある支配と権威とは

2章1節〜3節に「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」とあります。「天にある支配」とはまず、空中の権威をもつ支配者、すなわち、不従順の子らを肉欲のままに導いている者を指しています。
次に、天にある支配とは、天使の住む所(天には天使、空中にはサタン、地上には人類が住むと考えられていた)を指しています。そこには様々な階級の天使がいると考えられています。「当時の人々は、人がよい天使や悪い天使に運命的に縛りつけられていると考えていた。自力ではどうにもできない宿命論が人々を支配していた。」(1)

2.キリストによって神に近づくことができる

もともと、神を嫌っている人はキリスト(救い主)に近づかないでしょう。しかし、私たちに与えられている良心はうめき声をあげ、生活よりもその良心の声に従って苦渋を舐めることが多くあるのではないでしょうか。これは、どうにもならないけれども救いを求めている証拠ではないでしょうか。「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」(12節)すなわち、「サタン的力がキリストによって砕かれている」(2)と宣言しているのです。

3.定めと信仰

エペソ人への手紙は1章5節「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」とありますが、ユダヤ人はどうなるのでしょうか。「彼らの違反によって救いが異邦人に及んだ」(ローマ11章11節)ユダヤ人が心を頑なにされたのは異邦人が救われるためでした。神は恣意的に無原則に(決めたから救うんだ)ということはなさらないのです。すなわち、「神の国の経綸(経営)には一つの根本原理があります。神の国の民である者は主イエス様を信じて神に従う者です。主イエス様を信じないで、逆らっている者が神の国に集められることはありません。神がみこころに従ってひとりの人を召される時、人が自由意思をもってこれに応じれば彼は神の国の民に加えられます。これに反して人が自由意思を持ってこれを拒めば、彼の救いは延期され、神は代わりに他の個人を選んで神の国に召されるでしょう。また人が一度信じた後、その自由意思で信仰を棄てる時は、神は彼を神の国から除籍されます。しかし、悔い改めて信仰を復帰すれば、神は彼を神の国に加えて下さるでしょう。」(3)

もし主イエス様を信じ従うならば、サタンに対して勝利を宣言できるのです。
 
参考図書
(1)、(2)松木祐三著「みことばに聴く」一粒社 297頁
(3)矢内原忠雄著「聖書講義3」岩波書店

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