「悔い改めよ」(エゼキエル14章1節〜8節) ( 3.28/2017 )
「それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。」(6節)

何が正義かわからない時代になっているのではないでしょうか。
親を敬うこと、目上の方を尊敬することなど聖書には神がはっきりと命じておられます。しかし、何よりも、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。」(出エジプト記20章3節、4節)と厳命されています。

1.偶像とは
神以外に信頼を寄せているものです。ご先祖も、自分の才能も、家族も友人も会社などもみな神への礼拝を忘れるとき偶像になります。

2.悔い改めの勧め
偶像を捨て去りましょう。そして、心の中に偶像を置かないようにしましょう。
心の中だけではなく、顔の前にも置かないように(3節)命じられています。なぜなら、それらは私たちを不義に引き込むもの(3節、4節、7節)だからです。

3.神は生きておられる
偶像を慕い求めた結果得るものは失望です。偶像は生きていないからです。8節に注目してみましょう。「わたしがそのような者から顔をそむけ、彼をしるしとし、語りぐさとして、わたしの民のうちから彼を断ち滅ぼすとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」神が分からないから偶像を拝んだと言い訳をしても、断ち滅される結果から神を知るようにされるのです。
12節以降には個人の責任についての記述があります。義は隣人にまでは及ばないのです。しかも求められているのはノア、ダニエル、ヨブの義です。しかし、主イエス様の義だけは信じる者に及ぶのです。ですから、偶像を捨てるためにも主イエス様の十字架を今信じて祈りましょう。
「知ろう」(8節、23節)というのが私たちの希望です。死せる偶像か、生きておられる神か日々選ばなくてはなりません。神はあなたに生きていることを知らせることができる存在だと宣言されています。

聖書を読み、祈りと行い(22節、23節)を通し、賛美を通して生きておられる神との交わりをもってまいりましょう。主イエス様を信じ礼拝して、偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものを私たちの前から遠ざけましょう。

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