「でも、あなたは愛されている子ども」(エペソ5章1節) ( 5.2/2017 )
「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」(1節)

自らの日常生活を省みるときに、惨憺たる現状に落ち込むことも多いのですが、その原因は3節から6節によりますと不品行、汚れ、むさぼり、すなわち偶像礼拝だよと教えられています。そしてこれらを口にすることさえしてはならない(3節)と言われています。しかし、「あなたは神に愛されている子どもらしく」と言ってくださっているのです。どうしてそう言えるのでしょうか。

1.神の赦しがある(4章32節)
罪を犯したら神に愛してもらうことはできないのでしょうか。主イエス様は失われた者を放っておかないと言われました。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19章10節)
また、罪を犯したら神に赦してもらうことはできないのでしょうか。エペソ4章32節には「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」とキリストという赦しの証拠があると言って下さっています。クリスチャンはキリストに倣って同じことを証ししなさいと命じられています(2節)。

2.キリストの真実がある(5章10節)
「キリストがあなたを照らされる」(14節)とあります。悪の仲間に入らないで、キリストに照らされるまで、祈りの時をもち、主イエス様に心を照らしていただきましょう。「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」(21節)自分でなく主イエス様を証しするまで正しい判断はできません。

3.神との交わりに生きることが許されている(5章1節、18節〜20節)
不品行、汚れ、むさぼりと聞くと、(もうお手上げ)と言わざるをえない心持になるのですが、自分でなく神を賛美する生活に変えてみましょう。「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」(18節〜20節)すべての誉れを神におかえししましょう。

罪の中から立ち上がりましょう。神に愛されている子どもなのですから。神の赦しを受け取り、祈りによって主イエス様の真実に触れ、御霊によって神を賛美しお従いしましょう。

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