「神の御前にて」(2テモテ4章1節〜2節) ( 5.16/2017 )
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」(1節)

本日は召天者合同記念礼拝です。
先に地上での信仰生活を全うされた諸先輩方は地上での生活を終えようとしているとき、何を考え、何を残される人々に願ったのでしょうか。使徒の最後のメッセージから教えを受けたいと思います。

1.神の無い人生
創世記に「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2章17節)とあります。人は神の教えを無視して以来、神をもたない生活に慣れ親しんでいます。

2.神の御前の人生(1節)
パウロは「神の御前で」(1節)と言えました。彼は(神との交わりに入れられた)と証言しているのです。それは創世記2章17節を基に考えますと、神の御心を行う人生です。

3.みことばを伝えよう(1節〜2節)
「生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」みことばとは、主イエス様のことです(ヨハネ1章1節、5章39節)。神に反抗してしまう私たちの信念を砕くことができるのは、主イエス様だけです(1ヨハネ1章7節)。ですから栄光はみことばのもの、すなわち主イエス様のものです。雨の日も風の日も雪の日も晴れの日もみことばを宣べ伝えましょう。


(わたくしは、神の無い人生から、主イエス様によって神の御前に生きる人生に入れられたよ。どんな時もみことばを宣べ伝えなさい。主イエス様は罪の中から救って下さるよ。)と言っておられるのではないでしょうか。

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