「神を喜ぶ人生」(エゼキエル16章63節) ( 5.23/2017 ) |
「それは、わたしが、あなたの行なったすべての事について、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出して、恥を見、自分の恥のためにもう口出ししないためである。――神である主の御告げ。――」(63節) このエゼキエル書16章には、赦しに伴う恥が記されています。 1.神の妻としてのイスラエル、主イエス様の妻としての教会(1節〜34節) このところには神の妻としての契約関係に入れられている神の民でした(8節)。ところが神から装っていただいた美しさを用いて他の男に行き身を汚した問題について論じられています。彼らの心は飽き足りることがなかったのです(28節〜29節)。 2.神の裁きと罪の内容(35節〜58節) 神の裁きがそのために下ります。裁きが姦淫を重ねた人々の手に委ねられた時(39節)、そこでなされたのは、幸せとは程遠い破壊でした(40節)。 3.もう口出ししない民(59節〜63節) 神には赦しがあります。そして、その赦しを受けるときに、わたくしたちは神に口出しせずに自分の人生をお任せできるようになるのです。恥は神の考えではなく、私たちの心でした。 「わたしが、あなたの行なったすべての事について、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出し」(63節)、今後は自分でなく神を喜びとしましょう。 |
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