「天の御国はその人たちのもの」(マタイ5章2節〜3節) ( 5.30/2017 )
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(3節)

あるテレビドラマで凄腕の弁護士をつけてもらって無罪を勝ち取った被告人が、なおも疑い続ける刑事に対して(○○してやる)とつぶやきました。
他人をゆるせず苦しんでいる人がどれくらい沢山おられるでしょうか。しかし、主イエスは言われるのです。「そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。』」と。

1.幸いはどこにあるのか。
被告人の思い込んでいた幸せは、社会的に無罪が知れ渡り受け入られることであり、人々の笑顔が幸せのしるしだったのではないでしょうか。しかし、本物の幸いは主イエス様の御顔にあるのです。

2.どうやって天の御国を体験するのか。
心の貧しさで苦しむのは誰でしょうか。苦しんでいる本人です。しかし、主イエス様はその方に幸いだと言ってくださいます。心が貧しいままなのに幸いだと言ってくださるのです。それは、天の御国があるからだというのです。そして天の御国とは主イエス様のことです。自分をどうにかするのではなく、主イエス様を見つめ、主イエス様のことを思い、主イエス様に喜ばれることを行うのです。そこに天の御国が生まれるのです(ルカ19章7節〜8節、19章27節参照)。

3.私たちの務め
合同礼拝ということで、一番大切なみことばを共に学びたいと願って準備してまいりました。主から示されていたのはマルコ16章15節「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよ。」でした。ところが、ここで問題となるのは「福音」とは何かです。福音とは、1コリント15章3節から11節から知ることができます。すなわち、キリストは私たちの罪のために死なれたこと(3節)、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと(4節)、そしてケパ、12弟子、五百人以上の兄弟たち、ヤコブ、使徒たち全部、そして彼が伝えたかったのは、「私にも、現れてくださいました」(8節)でした。
私たちも主イエス様を体験する必要があります。そして心の貧しさに苦しんでいる方々に主イエス様をお証しする必要があります。これは、人生をかけて良い仕事です。

(主イエス様が私の御国になってくださいました)とお証ししようではありませんか。

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