「神様に感謝を」(ローマ1章21節〜25節) ( 6.11/2017 )
「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」(23節)

先週は赤ちゃんが乳離れするように、私たちも神様から卒乳できるのか考えました。結果は御子イエスの血が今も私たちには必要であるということでした。今週は何について神に栄光をささげるべきなのかを考えましょう。

1.神の存在は被造物において知られている(20節)
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(20節)

2.栄光は神にささげるべき(21節、22節)
「というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、」(21節、22節)

3.人に栄光を与えてはならない
ある賛美歌に「人と自分を比べてばかり、今の自分に自信なくても、主はきみをどんなときも必要とされている」というくだりがありますが、神を忘れた瞬間から私たちは自分自身に栄光をささげようとし始めてしまいます。しかし、栄光は造り主である神様にささげるべきものです。
どんな状態に置かれても、それを許された神様に栄光をおささげしましょう。
アンデルセンの童話に『マッチ売りの少女』があります。一本目はストーブを、二本目は焼きガチョウを、三本目は綺麗なクリスマスツリーと何千というろうそくを、そして四本目(最後)のマッチの光はおばあさんを映し出したのです。最初の三本のマッチの光は少女の体験したことのない幸せでした。しかし、神様が最後に見せてくれたのは、彼女が日頃いっぱい体験できていた幸せでした。

神様は私たちにも日々たくさんの幸せを与えてくださっているのではないでしょうか。もう、親や子どもや自分の栄光を求める生き方を止めようではありませんか。神様にだけ栄光をお返ししましょう。

(参考図書H・C・アンデルセン著、大畑末吉訳『アンデルセン コレクション』太平社)

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