「神から来る」(ローマ2章29節) ( 6.19/2017 )
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(29節)

割礼とは、今もユダヤ人の間で行われている宗教儀式です。生まれて8日目の男子の赤ちゃんが受けるもので、子どもの体調が悪くない限り安息日よりも重んじられている(安息日でも行われるほど重視されている)ものです。

1.問題の告発(1節)
他人を裁いているのに自分も律法を守ることができていないこと。

2異邦人の問題でもある(15節)
「彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。」(15節)

3.誉を誰に求めるか(29節)
「その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」とありますが、隣人からの評価ではなく、神からの誉れが大切なのです。
ある忠実な牧師がある有名な神学者に何かの質問をしたときに「あなたとはコードが違う」という回答が返ってきたとおっしゃっていました。
神からの誉れを求めるときに、真の救いの響きを証しできるのではないでしょうか。自分の誇り(割礼)という和音を求めてきたことを悔い改めて、神の誉れ(心の割礼)という和音を響かせましょう。神がおられるからです。

アンデルセンの童話に高跳び選手というのがあります。ノミとバッタと飛び人形が王様の前で高さを飛び比べるのです。結果、ノミは軍隊で、バッタは堀で、とび人形は王宮で暮らすことになりました。私たちのすべてを満たせるのは神様だけです。

(参考図書H・C・アンデルセン著、大畑末吉訳『アンデルセン コレクション』太平社)

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