「価なしに」(ローマ3章21節〜24節) ( 7.4/2017 )
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(24節)

初代教会はユダヤ人とギリシヤ人が混在する教会でした。文化が全く異なる人々が一緒に神を仰いでいたのです。そこには割礼をなど共に受け入れ合うことが難しい問題がありました。放っておけば冷たーい空気が満ちてしまうそんな状態でした。そんな彼らに語られたのが今日の中心聖句のみことばです。

1.「価なしに」
これは文語訳では「功なくして」と訳されています。功とは何のことでしょうか。22節、23節を読んでみますと、それは義なる行為のことであるとわかります。そして、すべての人が罪を犯しているので神の栄誉を受けることができない(23節)と指摘されています。ところが、イエス・キリストを信じる信仰による神の義、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もないというのです。
「なんの差別もない」とは、ノーディファレンスです。違いはあるのだけれども、主イエスを信じて与えられる義は違いを超えるというのです。

2.現在の教会の問題
キリスト教会は現在多くの教派に分派しています。それは自らの「価なし」を認めることができていない証拠です。しかし、先月12日から開かれた牧会者セミナーの講師の先生は、「何年でも問題が解決するまで愛し続けるのだよ」と教えてくださいました。

3.何によって一つになればよいのか
「キリスト・イエスによる贖い」です。皆強調している教理は違います。しかし、キリスト・イエスの贖いを別にしては差別しておられないのです。なんの差別もなく、どんな教理が支配するのでもなく、キリスト・イエスによる贖いだけが義とされたと宣言されています。
同じ会社、同じクラス、同じ教会や同じ教団でも口も利かない関係ができてしまう可能性もあります。しかし、もし今日から、主イエス様に信頼するなら価なしに勝つのです。

「ミスターベンとおおきなえもの」という絵本の主人公は、地面が揺れ尻もちをついている間に、いつの間にか象の群れが目の前に現れました。この体験をヒントにして象の群れをハンターたちから守るというお話なのですが、聖書を読みます時に、主イエス様の贖いという大きな象が飛び跳ねているように思うのです。もう手にしている銃を置いてカメラを手にしても良いのではないでしょうか。

(参考図書 デビット・マッキー著、まえざわ あきえ訳「ミスター・ベンとおおきなえもの」、朔北社)

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