「疲れた者への力」(イザヤ40章27節〜31節) ( 7.9/2017 )
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(31節)

序.世の人の多くは「半健康」と言われる。疲れている。今朝は魂が疲れた時の回復の方法を聖書から学びたい。

1.解放者である主
聖書には、「主を待ち望む者は新しく力を得、・・・疲れない」と書かれいる。主とはどのような方か?
この聖書箇所はバビロン捕囚の中にある人々に向かって書かれた。70年間の苦しみ。
人々の中に「私達の未来を神は知らない、私達の声は神に聞かれていない」との虚無感。疲れていた。疲れとは苦しみに飽きること。許容範囲を超えること。
しかし、彼らにイザヤは主なる神からの解放の預言を告げる。1-5節。「慰めよ。」と。
主は第一に解放者。民の先頭を行く主の前には王の道が整えられる。力ある神。

2.牧者である主
力によって世を平定された神は、力による支配はしない。愛による導き。弱める者への優しいいたわり。乳児は泣きながら乳房を探す。そして完全な充足を得る。信仰とは力強く語り行うことではない。自らの無力を知り神にしがみつく者を神が満たされる。

3. 統治者である主
主は一つには自然の統治者。もう一つには歴史の統治者。世界では権威者が様々なものにより権力を誇示する。いかに猛威をふるっても、神の永遠から見るなら吹けば飛ぶごみのよう。人を恐れず、神ならぬものを恐れず、すべてを支配される神を恐れるべき。

4. 創造者である主
創造された方は創造したものに責任を持つ。私達が不調なら私達を造られた創造者以上に、私達の状態を知り、私達を完全に癒す方はおられない。メーカー品はメーカーに。
主は十把一絡げに人を見ない。一人一人の愛する名を呼んで見守っておられる。アブラハムもすべての星に名をもって呼ばれる神に、自分の生涯を明け渡した。信仰の始まり。

結. あなたは知らないのか
この方を知らないのか?知らずに過ごすのか?この方を待ち望む時、天よりの永遠の力を得る。私達は神の前に強すぎる。自らの力を完全に放棄し、永遠の牧者である主にすべてを任せる時、主は永遠の御腕で私達を抱きしめ導かれる。その時、私達は羽ばたくことができる。今まで越えられなかった高さも高く越えていくことができる。
主を待ち望め!

(説教者 田代美雪牧師)

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