「主イエス・キリストによって」(ローマ4章20節〜5章1節) ( 7.24/2017 )
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(1節)

先週は幸いを得ているか(ローマ4章7節)について考えました。今週は義認が「神との平和」をもたらすことについて考えます。義認とは、

1.神は調べようとしていない(4章5節)
「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」
人と知り合うときに、その人の素行調査までして友達になるでしょうか。
もう20年以上前に知り合った社長さんは、おそらく、多くの人に(会いたいな)と思われる人物でした。それはその社長自身が自分の失敗を隠さなかったので近づく人々が彼を警戒しなかったことと、彼が社員さんたちを信頼する人物であったこと、そして、給料が高かったことが原因でないかと思います。
ローマ4章5節には、神は不敬虔なものを義と認めると記されています。社長さんは人の素行を調べることなく、自分の失敗を覆いませんでした。神は聖いお方です。しかし、私たちが不敬虔であることを知ったうえで近づいてくださっているのです。

2.幸福
先週はアブラハムとサラの信仰から、神を待ち望み神に栄光を帰すなら神は試練を幸福に変えて(で覆って)くださることを見ました。私たちに与えられている試練はそれぞれ異なっていますが、私たちにとっての幸福の本体は主イエス・キリストです。主イエス様は「私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(4章25節)罪の赦しの理由も、義認(罪が覆われること)の原因も主イエス様にあるのです。それゆえに、主イエス様に栄光をおささげするのです。

3.平和の要である主イエス様
どんなに口汚くとも人々に愛された社長さんがおられるのですが、それはその社長が社員さんや周りの方々を愛するからでした。神は私たちの罪のために主イエス様を死に渡されました。これが神の愛のしるしです。そして神は、主イエス様をよみがえらせました。

もし、あなたの内に主イエス様がよみがえられて生きておられる信仰が与えられ、栄光を神にお返ししておられるなら、どんな試練があっても神との交わりと平和は途絶えることなく、逆に強められるのです(ローマ4章20節)。
理屈は分かるけど実現する方法がわからないのが私たちかもしれません。保育園や幼稚園から企業やお役所まで、何かを身につけたり、仕事をするには時間割をもったグループに属すると効率よく実現できます。神との平和を得るためにお近くの教会へ足を運んでみてはいかがでしょうか。更に、すでに教会に集っている私たちは、試練を恵みに変えていただくための集会を新しく企画したらよいのではないでしょうか。そして、罪を赦すと言って下さる神に、そして、主イエス様はよみがえったと言って下さっている神に祈りましょう。

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