「新しい心と新しい霊」(エゼキエル18章27節〜32節) ( 8.1/2017 ) |
「あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」(31節) エゼキエル書18章のポイントは、27節から28節と29節のギャップにあります。すなわち、「しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行うなら、彼は自分のいのちを生かす。彼は反省して、自分のすべてのそむきの罪を悔い改めたのだから、彼は必ず生き、死ぬことはない。」と「それでも、イスラエルの家は、『主の態度は公正でない』と言う。」の間にあるのです。すなわち、自分のすべてのそむきの罪を悔い改めたのですが、主への不信の罪が自分では拭いきれずに残っていたのです。悔い改めても解決できない主への不信にどう対処したらよいのでしょうか。悔い改めとは、 1.振り捨て放り出して(30節〜31節) 「あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。」(30節)「あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。」(31節) 罪が占めていた場所を空けましょうと命じられています。 2.新しい心と新しい霊を得ること(31節) 心の中からそむきの罪を放り出して、代わりに何を得るのでしょうか。それは新しい心と新しい霊です。 罪をはぐくんで安心を求めるのではなく、悔い改めて、新しい心と新しい霊によって安息を得ましょう。 3.主イエス様の心、主イエス様の霊を求めよう 主が公正でないとどうして判断してしまったのでしょうか。それは自分自身の内側にあるそむきの罪ゆえでした(30節、31節)。神に背かない心と霊はどうやったら手に入るのでしょうか。ローマ書6章4節から5節には主イエス様につながれる人生が紹介されています。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」また、6章16節には、「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」とあります。 主イエス様に「あなたと同じ従順の心、あなたの従順の霊を満たしてください」と祈りましょう。公正とはヘロデ王になることではなく(マタイ2章16節)、神への従順なのです。 |
|
|