「仕えているのです」(ローマ7章4節〜6節) ( 8.13/2017 ) |
「しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。」(6節) 今日はローマ書7章ですので罪の問題を考えてみます。罪とは、 イ)住みつき「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。」(17節)。 ロ)自分ではしたくないことを行わせ、「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」(20節) ハ)からだを虜にし「私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。」(23節) 二)時を浪費させます「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。」(18節) そして罪に対してみじめな存在(24節)、それが私共なのです。しかし、 死からよみがえらされた主イエス様はそのような罪の現実の中で、今日「仕えなさい」と言っておられます。 1.死んだ者として(4節) 「あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。」(4節)私たちの肉体は弱いのですが、そんな私共のためにキリストのからだがあると言われています。キリストのからだは確かに死に渡されているのです。 2.その立場、御霊の方が上(6節) 5節と6節は律法による人生から御霊による人生に移ることを勧めています。律法と御霊が比較されていることから一つのことが分かります。それは、御霊は道具ではないということです。私たちは御霊に仕える立場に立たされているのです。 3.上に誰かがいるということ(6節) 支配者になれなければ良い知らせとは言えないとは聖書は言っていません。「仕えるのです」と教えて下さっています。隣人を喜ばせるのです。偉くならなくて良いのです。 (仕える理由は何ですか)と問われるならば、それは新しい御霊です。まず、祈りを繁くして新しい御霊を求めましょう。そして、疲れた時にも仕える前に祈りましょう。 |
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