「失望なし」(ローマ9章30節〜33節) ( 9.3/2017 )
「それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(33節)

義は信仰によって追い求めればよいと教えてあるのがローマ書9章です(32節)。その逆は何かと言いますと自分の行いによって求めるということです。では、自分の行いでなく信仰によって追い求めるとはどういう意味なのでしょうか。


1.主イエス・キリストを信じるということ

正しい生き方をするには、正しい心をもたなければならない。正しい心を持つためには自分の力で悪い思いを捨てると考えるのは一般的な、律法的な考え方です。ところがそう簡単ではないのです。「神はモーセに、『わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ』と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(16節)とあるからです。では、信仰によって追い求めるとはどのような意味なのでしょうか。それは、主イエスにすがるという意味です。23節に、私共のことを「あわれみの器」と表現されています。いや、本当は「滅ぼさるべき怒りの器」(22節)とあります。すなわち、自分の弱さや愚かさを認めて主イエス様にすがる者を主イエス様はあわれんでくださるのです。


2.主イエス様にすがるとはどういう意味か

「彼に信頼する者」(33節)とあります。教会の名称は多様ですが「信頼教会」というのはあまり聞いたことがありません。少し調べただけですが三重県にはあるようです。主イエス様にすがる者とは主イエス様に信頼する者です。主イエス様に信頼する者の特徴は祈りです。


3.失望のない人生とは主イエス様に祈る人生

「失望させられることがない」(33節)は、口語訳では、「失望に終わることがない」となっています。主イエス様は、私共が主イエス様に信頼して祈りぬくならば必ず「愛する者」(25節)と呼んでくださり、「生ける神の子ども」(26節)と呼んでくださいます。

御霊だけを求めて祈り続けましょう。最後まであわれみにすがり、主イエス様に信頼しましょう。いつも祈る姿を見られるような祈りの生活をしましょう。

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