「あなたは知らない」(ローマ10章1節〜13節) ( 9.11/2017 )
「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」(3節)

神が求めておられるもの、それは、わたくしたちの義ではなく、神の義です。ところが、神の義を知らないと指摘されています。もし神の義を知らないなら自分自身の義を立てようとしてしまうよと教えてくださっています。

1.心の中はどうか(5節〜7節)

「モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。しかし、信仰による義はこう言います。『あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。』それはキリストを引き降ろすことです。また、『だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。』それはキリストを死者の中から引き上げることです。」(5節〜7節)
心の中にキリストを知っていますかと問われています。もし、キリストを知っているのなら、他の人が神に裁かれるかどうか詮索しなくなるはずだというのです。

2.自分の義だけを求めているにもかかわらず

「神の義に従わなかった」(3節)ことはないか、と聞いてくださり、「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。」(12節)という神のご意思を日々見せつけられながら同意できないでいる者に、神は愛を示される のです。
「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」(21節)

3.共にいてくださる神

わがままで、自分勝手に生きてしまうのが人間ではないでしょうか。そして質(たち)の悪いことに人を判断してしまう弱さも持ち合わせている(ローマ9章20節)、そんな状態であるにもかかわらず、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(10章9節)。

弱さも間違えもある、でも、私たちを救うのは主イエス様なのだ、本能のままに揺り動かされて失態の中でもがくその嫌な自分の中で、(イエス様、あなたは私の主です。と告白し、神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じなさい)と勧めているのです。
日常生活の表面はどうにか繕えるでしょう。でも、痛みを抱えていること、心の中で求めているものに対して無力であることを知った上で見捨てないで共に歩み祈りを聞いてくださるのは主イエス様です。神の義は、人の善行ではなく主イエス様の十字架を求めたからです。解決は人にではなく、主イエス様にあるのです。

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