「接がれた者たちの祈り」(ローマ11章16節〜18節) ( 10.1/2017 )
「オリーブの豊かな養分をともに受けている」(17節)

ユダヤ人が神と仰ぐ創造主に、野生種のオリーブ(異邦人)である私たちが接がれたというのがこのところのメッセージです。

1.オリーブの根に接がれるということは(17節)
もし、神のない人生だとしたら、死んだら、やがて、忘れ去られて終わりです。しかし、私たちには創造主がおられるということは、人にではなく、私たちを造られた神に自分を預けるということです。簡単に言いますと創造主を信頼する人生に入れられるということです。

2.何によって生かされるのか(17節)
「オリーブの根の豊かな養分をともに受けている」とあります。これを「神のいつくしみ」(22節)と説明されています。この愛は「根があなたを支えている」(18節)とあるのですが、すべては神から発するもの(36節)で私たちは養われるのです。

3.不従順にされるとき(32節)
クリスチャンでもユダヤ人のように、信じていたのに今は離れてしまっているという方があるかもしれません。21節から23節を読みますと、「あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。」そして、慈しみの中にとどまるようにと勧めています。ユダヤ人も不信仰を続けなければ、神は彼らを再び接ぎ合わすことができるのです。
神は「すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのです。」(32節)それは、29節から31節を読みますと、異邦人の受けた憐みをユダヤ人たちも受けるためだと記されています。

神はすべての人をあわれみを受ける立場に置かれました(32節)。「だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか」(35節)とある通りです。
今、不従順な生活から回復されたのは、自分の探求の結果ではありません。神にあわれまれた結果であり、神にすべてがかかっているのです(36節)。神から発した計画を受領しましょう。御子による贖いを受け取りましょう。そして、すべての栄光は神に帰るのです。
偶像(神以外に信頼しているもの)から切り取られて、神に接がれ養われる人生を始めさせてくださるのは神です。病院で順番を待つように、「主イエス様あなたを信じたいです。助けてください」と祈り続けましょう。

TOP