『神様の大いなる御手の中に』(使徒の働き24章24節〜25章12節) ( 10.29/2017 )
使徒行伝の最後は、拘束されてからのパウロのことを描いてます。至る所に連れ回され、訴えられ、弁明し、護送され、監禁状態が続きます。そして、その中で、パウロが一番苦しい思いをしたのが今日読んだところではないかと思います。24章27節を見てください。24:27「二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた」。
ペリクスの前での裁判から、2年間パウロは放置されていたのです。そしてペリクスの後任フェストが、このユダヤのカイザリヤでローマの総督になるまで、パウロの裁判は延期されていたのです。ペリクスは、パウロが無罪であると思っていましたが、釈放しませんでした。ユダヤ人を恐れていたからでしょうね。それでぺリクスは、裁判を終えるのを引き延ばしたのです、おかげで2年間もパウロは獄中で過ごすことになります。このパウロの経験から私たちは幾つかのことを学びます。
第一は、このように振舞わされたパウロの苦しみの意味です。
第二に、このパウロの苦しみの背後の神の摂理です。
ペリクスはパウロに“待った”をかけ2年間、(パウロは)何もせずに留められた。しかし何もせずに留められる中から、人生の忍耐を再び学び、そして尚かつ、ある日突然に神さまの御手によって、自分のいのちが解放されて行くということを彼は学びました。
(説教者 豊後高田福音キリスト教会 大瀧一郎牧師)

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