「その人の益となるように」(ローマ15章1節〜13節) ( 11.20/2017 )
「私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。」(2節)

白鳥が鶴に、沼で蛇を獲っていないで天国へ行こうよ、と誘います。しかし、鶴は答えるのです。天国に蛇は居るのかい。もしいないのなら行きたくないね、と。わたくしたちは、何を望んでいるでしょうか。もしそれが神の国ならば、神の国には何があるのでしょうか。


1.力のない人たちの弱さを担う(1節〜3節)

それは、人々のそしりが降りかかる生活です(3節)。パウロもエルサレムにいる貧しい人々を助けるために奔走していました。しかし、彼に与えられたのは不安でした。「エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」(31節)とある通りです。
ただ、彼に与えられた確信はキリストのご生涯でした(3節)。


2.益とは何か(12節)

主イエス様はわたくしたちの罪を負って十字架にかかって下さいました。主イエス様の流して下さった血潮によって私たちの罪はきよめられます。これが、神の国の姿であり、蛇に勝る幸せです。


3.どうすれば、隣人が喜び、徳が高められるか

「弱さをになうべきです」(1節)とあります。たけのこは、皮がかぶって窮屈だろうと皮をむかれてしまうと枯れてしまうそうです。私達にできることは、神の御手に委ねつつ、キリストに従うことです(5節)。自分自身も不完全ですが、自分自身も神に委ねてキリストのくびきを負うて従うことです。そこに魂の休み場があります。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11章29節)
昨日、子どもたちの声が聞こえたので玄関に降りていきました。内心は疲れていて(どうしよう)と思ったのですが、子どもたちがかけてくれた声に励まされ、たましいに安らぎが来ました。
主イエス様に会いに、(ガムをもらいに来た)こどもたちによって神の御言葉が実現しているのを体験させていただきました。私は励まされたのです。
キリストの下には神による安息が創造されるのです。キリストによって。キリストに近づく人がいさえするならば。

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