「こわがることはない。マリヤ。」(ルカ1章26節〜38節) ( 12.11/2017 ) |
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」(31節) 1.そのままの姿で 「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」(31節〜32節)と御使いは処女のマリヤが主イエスの母になることを告げます。 「そこで、マリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』」(34節) 2.聖霊があなたの上に臨む 「御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。』」(35節) 3.おことばどおりこの身に 「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った。」(38節) 「男の人を知りませんのに」のままで良いのです。「主のおことば」が(38節)この身になるのです。先日ある女の子が「〜が嫌なの」と話してくれました。その時、神様が思い出させてくださったのはその日の早天祈祷会で開かれた「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」(詩篇1篇1節)でした。あざける者の座につかないようにと神はこの子に才能を与えなかったのだなと思ったのです。同じ日に社会人の青年からも一方的な中傷についての相談を受けました。しかし、「こわがることはない。マリヤ。」(30節)と、神はわたくしたちの姿を知り受け入れておられます。 中傷やあざけりは、「おことばどおりこの身になりますように」(38節)の練習かな〜と思うのです(悪いことと思えることも主は人生に与えられるのではないでしょうか)。やがて、タラントを使い尽くして神の御前に召されていくときの為(マタイ25章19節)、またタラントを用いることをしなかったことを悔いて祈るこの日の祈りのために。ただ、どんなに足りなく感じても批判されても忘れてはならないのは「こわがることはない。マリヤ。」と、主が語っておられるということです。まず、(こわがることはない)を受け取ろうではありませんか。 |
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