「神の愛の対象」(ルカ2章1節〜7節) ( 12.18/2017 ) |
「男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(7節) まず皇帝アウグストとは、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタビアヌスのこと。アントニウスを倒して紀元前27年から紀元14年までローマを中心とした地中海沿岸を治めた人物。クレニオがシリアの総督であった時の人口調査は紀元6年、人口調査は14年おきであったとされるのでその前の調査は紀元前8年ころ、おおよそこの期間にルカの記した主イエス様の誕生の出来事は起こりました。 主イエスの誕生の記事は、宿屋の一階の家畜の泊まる場所で起こったと記されています。なぜ客間ではないのでしょうか。その理由は客間には彼らの居場所がなかったからというのです。 もし、クレニオの子どもだったらどうだっただろうと思うのです。そんな扱いはあり得なかったでしょう。しかし、神は主イエス様をヨセフとマリヤに預けました(マタイ1章25節参照)。 これは、神の愛が乏しいということを言っているのでしょうか。それとも、神は貧しい人も愛しておられるということを言っているのでしょうか。 人は、価値ありと認める者を尊敬し敬うものです。しかし、神はその逆だと言っているのではないでしょうか。たとえ貧しくても、世間から価値を認められることが出来なくても、神はそのような環境に御子を預け養育させました。私共が愛すべきところも価値があるところではなく、価値を見出しにくいところであり、愛することに困難を感じるところをこそ愛すべきだと神は教え示しているのではないでしょうか。 そして、弱さをかかえたままの自分自身に対する神の愛も受け取るべき時なのではないでしょうか。 |
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