「救いに与る人とは」(ルカ2章8節〜20節) ( 12.25/2017 ) |
「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(12節) 一昨日の燭火礼拝では「天が開かれた人生」と題して 1.神を賛美できる人生へと導くことが救い主イエス様の役割であること、 2.救いを得ることがわたくしたちに課せられている務めではなく、救いは救い主から与えられるものであること、 3.神を賛美できない原因である罪のために、主イエス様ご自身が私たちが負っている過去の重荷から買い取るための代価となってくださったこと(マタイ26章28節)をお話ししました。 本日は、どんな羊飼いが救い主と出会ったのか、どんな人が救われるのか(神を賛美できるのか)考察してみたいと思うのです。 まず、み使いは羊飼いに対して救い主の誕生を知らせたということは身分に制約のないことを教えていると言えるのではないでしょうか。そして、もう一点は、救いのしるしが飼い葉おけに寝かせてあるみどりごであったという点です。全宇宙を創造された神が送ってくださった救い主はひとりのみどりごです。 自分の帝国を築く人が救いに与る人なのではなく、みどりごなのだということが言えるのではないでしょうか。 では、どんな人が救い(神への賛美)に至るみどりごなのでしょうか。主イエス様は「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ14章3節)と言われました。救い主の目的は、主イエス様と同じところにおらせることです。 主イエス様がおられる所とはどこでしょうか。 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23章34節)それは赦す人生です。0歳児に恨みつらみも野望もないでしょう。しかし大人になったらそうはいかないのではないでしょうか。けれども成人してからもイエス様は(わたしのいる所に、あなたがたをもおらせたい)と言っておられます(ヨハネ14章3節)。 どうすればイエス様のように祈れるでしょうか。マリヤがイエス様にかばっていただいた時の言葉に、 「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10章42節)というのがあります。マリヤは主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていました。働きで競い合うのではなく、自分の弱さを認めた上で主イエス様の下に隠れて祈ることが救いに与る秘訣なのではないでしょうか。 |
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